多くの人が求めている
しばしば耳にします。
「楽しいが表面的な会話」をするのが苦痛で、それがゆえにコミュニケーションがとれない。苦手だと思っている。
とか、
昔はもっとお互いの心のうちを話せたのに最近はそうではないのは、友達の質なのか、それとも・・・?とか。
それって、もっと、お互いの本当に考えていることや気持ちを伝え合えたり、聴きあえたりできることを望んでいるっていうことですよね。
しばしば目にします。
普段の会議の場では、なかなか意見がでないのに、ちょっと仕掛けをしただけで、ひとりひとりがちゃんと自分の意見を話している。
がやがやと、今までの静けさはなんだったのかというくらい。
ワークショップなんかすると、こんなに自分が話せることに驚いたり、目を輝かせて話していたり、この場の存在自体に感動していたり。
時間が終わっても、話し続ける。
わかちあいのときに、一人で多くの時間をとって話してしまうひとや、質問と称して、自分の話を延々とするひとも・・・・
本当は「話したい」人がたくさんいる。
「聴いてもらいたい」人がたくさんいる。
行政窓口やら何やら、関係ないところで身の上相談を延々とするひとがいる・・・
しばしば耳にします。
「認めてもらいたいんだ」って。
子どもだけじゃない、大人が、口々にそう言葉にする。
自分の存在確認をしたくて、人からほめてもらいたくて、動いている。
そういう時もあるでしょう、そういう場面もあるでしょう、認めて欲しい特別な人がいる場合もあるでしょう。
だけど、価値観よりもそこにスポットがあたっているケースを多々耳にするんです。
私の中ではこれらは全部つながっているような気がしています。
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