夏山ツアーでの低体温症による死亡遭難事故の話を聞き、痛ましく思う。
メディアの情報では、ガイドの判断ミスの印象が強い。
想定外のことが次々に起こったのかもしれない。
詳細はわからないけど。
以下はネットでの読売新聞の記事から引用。
「公募で集まったメンバーは、ほとんどが初対面。コミュニケーション不足が危険を招きかねない」。こう語るのは、中高年のパーティーを国内外の高峰に案内してきた日本勤労者山岳連盟理事の石原裕一郎さん(46)。
何度か公募パーティーに参加した経験がある女性(70)も、「参加者の体力や技術に差があったため、隊列が長くなって、はぐれそうになったことがある」と証言する。悪天候に見舞われ、先に進むか引き返すかでパーティーの意見が真っ二つに割れるという事態も、この女性は経験したという。
今回のアミューズトラベルのツアーに参加した15人は、広島、中部、仙台の各空港から新千歳空港に到着する便を利用して集まった即席パーティーだった。
登山家の田部井淳子さん(69)は公募パーティーについて、「1人では難しい山にも気軽に登れるなど魅力がたくさんある」としながらも、「見知らぬ人ばかりのため『きつくて歩けない』と言い出しにくい雰囲気になる」と問題点を強調。
さらに「帰りの飛行機の時間が決まっており、天気が急変しても、日程を変更しにくい面がある」と話し、「予備日を設けているなど、余裕のある日程の組まれたツアーを選んだ方がよい」と参加者にアドバイスする。(後藤将洋)
(2009年7月18日02時55分 読売新聞)
周囲には学校登山のガイドをする人間が多くいる。
そんな関係で耳にする事から考えるに、現場のガイドと募集をかける会社との意見の違いもあるだろう。
本当は日程の組み方とか、パーティの人数とか、技術や経験の違いとか、考慮してパーティを組むとか、救助をよぶときの判断基準とか、ガイドの人数とか、ガイドのほうから要望がでていても、改善されないこともあるだろう。
だからガイドのことだけを言うのは、片手落ちのようにも思う。
だけど、このような公募ツアーをガイドする人は、個人登山者の集団としてのグループを案内し、状況を判断し決定する単なるガイドとしてではなく、最初から「チーム」づくりを意図しながらファシリテーターとして関わっていたらどうだろう?
参加者同士が話をし易い環境作りをしたり、自分の状況を遠慮せず素直に口に出せる雰囲気作りとか。少なくともガイドと参加者の間にはなんでも言える、相談できる関係を作り出す必要もあるのでは?
言えない人に気がついて、声をかけ状況を把握するとか。
どんな仕事においても、大勢の人たちに関わる人たちにファシリテーションは必要な考え方だと、あらためて思う。
今回の事について安易な事はいえないけれども、山岳ガイドに関わる人にも知ってほしいことだと思った。
亡くなった方のご冥福を祈ります。合掌。