議事録のとりかた。記録のとりかた。板書のしかた。

kaneshige

2009年04月10日 14:00

へたくそです。嫌いです。コンプレックスがあります・・・


子供の頃から授業のノートはぐちゃぐちゃで、活用できた事ない。
でも東大入学者のノートのとりかたが、書籍化されて出ているのを読んだりすると、
やはり、ノートのとり方というのは大事だというのがよくわかる。

とはいえ、私はそれ(ノートの記録)をなんのためにノートするのか、がわかってなかったように思うのだ。ノートの記録=試験対策=「暗記」って思っていた。
で、暗記のために活用と思うと、もうとたんにダメ。意欲もなくなるし、だいたい、作ったノートで暗記なんか出来ない。
そのまえに「美しく、みやすく記録する」というところに意識の欠如があった気がするけど。


と、そんな背景を持った私は、「記録」「議事録」「板書」ちょー苦手です。



なのだけど。

5,6年前にファシリテーショングラフィックというのに出会いまして。

議論の見える化って大事なんだなって言うことを、体感。

その後、へたくそなくせに、っていうか、文字だけしか書けないけど、率先して板書をする。


ファシリテーショングラフィックっていうのは、グラフィック」っていうくらいですから、絵とか記号とかを使って「模造紙」にカラフルに話し合いの記録をとっていくんです。
大事と思われるところは大きく書いたり、盛り上がった所には、そういうことがわかるような印をつけたりね。

絵の得意な人が、工夫しながら書き上げていくのはもう芸術であり、
またそれを観ながら、話が活性化することもあり、次回の話し合いに、この模造紙の記録を張り出すことで、これまでの議論がすぐに思い出されたり・・
また縮小コピーして、議事録としても活用できる。

有益だなぁと思っているわけです。
でも私には出来ないんですね。絵がかけないから(涙) 字が下手だから。空間をうまく使えないから。



私の周囲にも優秀なファシリテーショングラフィッカーが出てきてくれないかなとひそかに思っているわけです。
↓これは一日習っただけの学生さんが書いたもの。



こちらは、指導者が書いたもの。




絵も苦手、空間把握して、予測して美しく仕上げるなんてのはチョー苦手なんだけどね、
記録する事で、議論がぶれなかったり、話が戻しやすかったり、誰かの発言が置いてきぼりになるのが避けられたり・・・いいことがたくさんあるんです。

また、どんな話し合いだったか?っていうのが思い出されるような記録ってのはいいなぁと思うんですよ。欠席者にも伝わるような。

それで、ときどき、チャレンジします。
臨場感がでる記録づくりに。


板書しながら、模造紙書きながら、途中で入ったチャチャを口語体でそのまんま記録したり、もりあがったところは、わかるように印をつけたり、あえて発言者の発言そのまんま、方言いれて書いたり。

最近は携帯で写真を撮って印刷し、そのまんま議事録として配布しちゃったりすることも。





先日はカフェでのうちあわせだったので、ホワイトボードもなく、手元用紙に「議事録」をとる役目だったのですが・・・
 
結局発言をほとんど記録する形になり。

だけどあとで読み返してみたら、話の流れがわかって面白かった。

「議事録」としての体裁を整える為、日付場所、時間、参加者名、テーマ書いて、この日の結論を書いて。
あとは、だらっと発言の要点を記録しておきました。

少なくとも参加した人にしたら、あの場でおこっていたことを思い出すきっかけになるだろうし、欠席したひとは、どういう背景でこういう結論になったのかっていうことがわかるのは有益じゃないだろうかと。


「記録」系は苦手という意識が強かったんですが、ファシリテーショングラフィックと出会ってから、「活用」に意識が行くようになったきがします。
絵はかけなくても、この「記録」がどんな風に役に立つのか、なんのための記録なのか?を意識する事によって、「記録」そのものが、ファシリテート・・・いろんなことを促進する役目を果たしてくれるんだなぁということに気がつきました。



というわけで、苦手意識はあっても、目的を遂行する為に出来る事として、チャレンジしていこうと思っています。

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