渦中の人になったとき
会議やグループ活動をしているなかで、ファシリテーター的なスタンスがいつも、そばにある。
日々生活の中では、必要に応じて、スイッチが入る。
会議で・・私が進行役ではなく、一メンバーだったとしても、少数意見の声の背景をきちんと受け止めた上で決議したいところ。
そのためのかかわりはたとえメンバーだったとしても出来る。
だけど、ときどき・・・・自分がたったひとりの違う意見を持った立場になったときなど・・・
「参加者でありながらのファシリ」スタンスではなく「当事者」でしかいられないことがやってくる。
ある会議において、出席者10名のうち7対1(保留2)の1の意見が私だった。
多数意見の理由はそれぞれから聞いた。
そして、自分の意見やその理由は伝えた。そのほかにたくさんの思いや感情があったのだけど、それは訊ねてはもらえず、伝えきることもできず、汲み取ってももらえず。
対抗する意見の理由をあらためて、自分個人に対し、言われるってことは「説得」ニュアンスになるんだなぁとあらためて気づきもありながら・・・・
私の思いは受け止めてもらえず。
「やめたくなったよ・・・・」って言ったけど、だれも気に留めてはもらえず・・・
悲しくなった。
あのときこの、「悲しい」気持ちを言って、理由を尋ねられてもうまくいえなかっただろうけど、今気づいた。私の気持ちが、そこにいる人たちに伝わった感じがしなかったからだ。
「意見」に同意されなくても、そこにいたる「気持ち」や「背景」を受け止めてもらえていたらもう少しこのもやもや感は違っていただろう。
とはいえ、今も納得出来ていないのだけど。
みんながそれがいいというのなら・・と引き下がってしまったけど、「もっと主張する」という選択肢もあったのだろうか・・・
保留者に意見を聞いてみたのだけど、言葉にならなかったり、途中でさえぎられたり。
今思えば、保留者の思いをもっと聞いてみたらよかったかもしれないなぁ。
別のケース。
ある意見交換会において、今なにが行われているのかぜんぜんついていけない感じを持っていた。
そしてその場の進行役から、私にも発言がもとめられ、感想を言えというのでいやいや感想を話したが、それを聞いた後、その場とは関係のない質問が、進行役から尋問のようにあり、もうさらに嫌で嫌でたまらなくなった。
もう私に質問はいいから他の人の話を聞いてくれと、私はその嫌な気持ちと、理由も伝えているのにその進行役は離してくれず、しかも侮辱ともとれるような発言まであって辟易していた。
もう少し丁寧に、自分の気持ちと向き合って、それを言葉に乗せられたら良かったんだろうけど・・なんだか、めげてしまって。
だけど、私がここで踏ん張っていたら、この進行役に大勢の前で恥をかかすことになってしまうのでは?
それに私は、違う学びが欲しくてここに来ているのに・・・・
ほかの人だって・・・・そんな思いもあり、逃げてしまった(涙)
救いは、同じように感じていた参加者がほかにもいたこと。
私の気持ちを感じ取ってくれた人がいたこと。そしてそれを発言してくれたこと。
「あなたは○さん(私のこと)を尊重していない気がして不愉快です」
それさえも、その進行役は受け取ることは出来ず、私にパスを回してきた。
私が退場したあとも、そのやりとりはしばらく続いたらしいけど、私はあの場にはいられなかったな・・
結局、そのやりとりを経ても、場の運営は何も変わらなかったらしく、私がそのままあそこにいても、参加の目的を果たすことは出来そうになかったけど。
どうしたらよかったのかな。
自分が渦中になってしまうと、自分のプロセスをきちんと出しきれればいいのかもしれないけど、いつもいつもそうは出来ず。
だから伝わりづらいのかな。
ファシリテーターがほしいな。
日々生活の中では、必要に応じて、スイッチが入る。
会議で・・私が進行役ではなく、一メンバーだったとしても、少数意見の声の背景をきちんと受け止めた上で決議したいところ。
そのためのかかわりはたとえメンバーだったとしても出来る。
だけど、ときどき・・・・自分がたったひとりの違う意見を持った立場になったときなど・・・
「参加者でありながらのファシリ」スタンスではなく「当事者」でしかいられないことがやってくる。
ある会議において、出席者10名のうち7対1(保留2)の1の意見が私だった。
多数意見の理由はそれぞれから聞いた。
そして、自分の意見やその理由は伝えた。そのほかにたくさんの思いや感情があったのだけど、それは訊ねてはもらえず、伝えきることもできず、汲み取ってももらえず。
対抗する意見の理由をあらためて、自分個人に対し、言われるってことは「説得」ニュアンスになるんだなぁとあらためて気づきもありながら・・・・
私の思いは受け止めてもらえず。
「やめたくなったよ・・・・」って言ったけど、だれも気に留めてはもらえず・・・
悲しくなった。
あのときこの、「悲しい」気持ちを言って、理由を尋ねられてもうまくいえなかっただろうけど、今気づいた。私の気持ちが、そこにいる人たちに伝わった感じがしなかったからだ。
「意見」に同意されなくても、そこにいたる「気持ち」や「背景」を受け止めてもらえていたらもう少しこのもやもや感は違っていただろう。
とはいえ、今も納得出来ていないのだけど。
みんながそれがいいというのなら・・と引き下がってしまったけど、「もっと主張する」という選択肢もあったのだろうか・・・
保留者に意見を聞いてみたのだけど、言葉にならなかったり、途中でさえぎられたり。
今思えば、保留者の思いをもっと聞いてみたらよかったかもしれないなぁ。
別のケース。
ある意見交換会において、今なにが行われているのかぜんぜんついていけない感じを持っていた。
そしてその場の進行役から、私にも発言がもとめられ、感想を言えというのでいやいや感想を話したが、それを聞いた後、その場とは関係のない質問が、進行役から尋問のようにあり、もうさらに嫌で嫌でたまらなくなった。
もう私に質問はいいから他の人の話を聞いてくれと、私はその嫌な気持ちと、理由も伝えているのにその進行役は離してくれず、しかも侮辱ともとれるような発言まであって辟易していた。
もう少し丁寧に、自分の気持ちと向き合って、それを言葉に乗せられたら良かったんだろうけど・・なんだか、めげてしまって。
だけど、私がここで踏ん張っていたら、この進行役に大勢の前で恥をかかすことになってしまうのでは?
それに私は、違う学びが欲しくてここに来ているのに・・・・
ほかの人だって・・・・そんな思いもあり、逃げてしまった(涙)
救いは、同じように感じていた参加者がほかにもいたこと。
私の気持ちを感じ取ってくれた人がいたこと。そしてそれを発言してくれたこと。
「あなたは○さん(私のこと)を尊重していない気がして不愉快です」
それさえも、その進行役は受け取ることは出来ず、私にパスを回してきた。
私が退場したあとも、そのやりとりはしばらく続いたらしいけど、私はあの場にはいられなかったな・・
結局、そのやりとりを経ても、場の運営は何も変わらなかったらしく、私がそのままあそこにいても、参加の目的を果たすことは出来そうになかったけど。
どうしたらよかったのかな。
自分が渦中になってしまうと、自分のプロセスをきちんと出しきれればいいのかもしれないけど、いつもいつもそうは出来ず。
だから伝わりづらいのかな。
ファシリテーターがほしいな。