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プロフィール
kaneshige
兼重尚子(かねしげたかこ)

人間関係ファシリテーター


ライフコーチ


米国CTI認定プロフェッショナルコーチ


ヴォイス認定ソースベーシックトレーナー


信濃町認定森林メディカルトレーナー


ネイチャーゲームリーダー


妙高アドベンチャープログラムファシリテーター


プロジェクトワイルドエジュケーター



兼重コーチング事務所代表


(株)コーチング・ラボ・ウエスト長野支部長


TEAM100 構成員


国際自然環境アウトドア専門学校非常勤講師


メール coach-kaneshige@nifty.com


心を閉じさせる営業マン

2009年07月29日

 kaneshige at 10:48  | Comments(0) | 思うこと
自宅で。

ついうっかり、鍵をかけずにいた。


どこか遠くで人の声がしたような気がする。
誰かきたのかな?
ご近所さんの誰かが外でお話しているのかな?

と、玄関に通じる扉を開けたら・・・・


そこに人が立っていた。









もう本当に驚いてしまって。その場で固まってしまった。



家の中にあがりこんでいるわけではないのだけど。



スーツを着た若い男の人が何かを私に向かってしゃべっているんだけど、耳に入ってこない。





ようやく「どなたですか」
と口を開いた私。



すると早口でなにか言った後、「近隣のよしみで薬箱を置いてほしいんです。」




・・・・・・・


なにがなんだかわからない。
今思えば確かに近隣の町にある業者なんだろうけど、富山の薬売り方式ってこと?



知り合いでもないのに「近隣のよしみ」って間違ってるんじゃ?



「いらないです。」




相手はなんとか食い下がろうとまた何か口を開くんだけど、本当に何を言ってるんだか頭に入ってこなくて、私はかたまったままだった。
私は玄関にはいない。




私が相手の話に受け答えせず、たぶん相手の話の脈絡を無視して言ったのは




私「あの。呼び鈴、壊れてました?」
相手「いや?鳴らしてみましょうか?」
ピーんポーン・・・鳴った。


私「私びっくりしてしまって・・・怖かったです。
話耳に入らないし、気持ちがあなたをシャットアウトしちゃって・・・・・

・・・・・チャイムちゃんと鳴らして、ドア勝手にあけないほうがいいですよ・・・・・」


かたまったままの調子でようやく伝えたら、理解したのか?「はぁ、スミマセン・・・」
と扉を閉めて帰っていった。


私が速攻で鍵を閉めたのはいうまでもない。





相手に対してもそうだけど、自分自身の驚き具合と固まり具合に一番驚いている。
こんな風になる自分に出会ったのは初めて。

  


山岳ガイドとファシリテーション

2009年07月26日

夏山ツアーでの低体温症による死亡遭難事故の話を聞き、痛ましく思う。
メディアの情報では、ガイドの判断ミスの印象が強い。

想定外のことが次々に起こったのかもしれない。
詳細はわからないけど。

以下はネットでの読売新聞の記事から引用。
 「公募で集まったメンバーは、ほとんどが初対面。コミュニケーション不足が危険を招きかねない」。こう語るのは、中高年のパーティーを国内外の高峰に案内してきた日本勤労者山岳連盟理事の石原裕一郎さん(46)。

 何度か公募パーティーに参加した経験がある女性(70)も、「参加者の体力や技術に差があったため、隊列が長くなって、はぐれそうになったことがある」と証言する。悪天候に見舞われ、先に進むか引き返すかでパーティーの意見が真っ二つに割れるという事態も、この女性は経験したという。

 今回のアミューズトラベルのツアーに参加した15人は、広島、中部、仙台の各空港から新千歳空港に到着する便を利用して集まった即席パーティーだった。

 登山家の田部井淳子さん(69)は公募パーティーについて、「1人では難しい山にも気軽に登れるなど魅力がたくさんある」としながらも、「見知らぬ人ばかりのため『きつくて歩けない』と言い出しにくい雰囲気になる」と問題点を強調。

 さらに「帰りの飛行機の時間が決まっており、天気が急変しても、日程を変更しにくい面がある」と話し、「予備日を設けているなど、余裕のある日程の組まれたツアーを選んだ方がよい」と参加者にアドバイスする。(後藤将洋)
              (2009年7月18日02時55分 読売新聞)


周囲には学校登山のガイドをする人間が多くいる。
そんな関係で耳にする事から考えるに、現場のガイドと募集をかける会社との意見の違いもあるだろう。
本当は日程の組み方とか、パーティの人数とか、技術や経験の違いとか、考慮してパーティを組むとか、救助をよぶときの判断基準とか、ガイドの人数とか、ガイドのほうから要望がでていても、改善されないこともあるだろう。
だからガイドのことだけを言うのは、片手落ちのようにも思う。


だけど、このような公募ツアーをガイドする人は、個人登山者の集団としてのグループを案内し、状況を判断し決定する単なるガイドとしてではなく、最初から「チーム」づくりを意図しながらファシリテーターとして関わっていたらどうだろう?

参加者同士が話をし易い環境作りをしたり、自分の状況を遠慮せず素直に口に出せる雰囲気作りとか。少なくともガイドと参加者の間にはなんでも言える、相談できる関係を作り出す必要もあるのでは?
言えない人に気がついて、声をかけ状況を把握するとか。

どんな仕事においても、大勢の人たちに関わる人たちにファシリテーションは必要な考え方だと、あらためて思う。



今回の事について安易な事はいえないけれども、山岳ガイドに関わる人にも知ってほしいことだと思った。


亡くなった方のご冥福を祈ります。合掌。
  


接客応対観察

2009年07月26日

 kaneshige at 18:10  | Comments(0) | 傾聴
ちょっと値の張るものを購入検討のため、ショウルームを周って見積もりをとった。
3社ほどまわり、パートナーが話を進めているあいだ、私は職業病か、担当者の受け答えを観察してしまい(^^;
・・・・・・・・・面白かった。



『A社』
    質問すると、いろんな情報を織り交ぜながら、最後に結論を言うので、ちょっとわかりづらいのだけど、なんとか得たい情報は得られた。
わかりづらいけど、担当者の態度が一生懸命で、こちらの質問の応えにたどりつけるように、考えながら話しているのが誠実に見えた。
新人だったのかもしれない。
あるいは、質問に答えてないよと指摘された事があって、気をつけているのかな?なんだか、そんな印象が。
とはいえ好印象。

でも、見積もりを出すあいだ、ほかを見学している所にやってきて、見積もりをその場で見せてくれるでもなく、袋にいれて「ハイ」と渡されたのは残念だなー。
だって、結局袋を開けてその場で見たもの。



『B社』
   質問に対して、担当者は考えているような様子は見られず、よどみなく言葉がでてくる。知識豊富なベテランなのかもしれない。年齢は3社の中で一番上。
だけど、必要以上に、たくさんの情報を話してくれるので、なにがなんだかわからない。しかも、得たい答えが得られない。これって、どうなんだ???


とはいえ、パートナーの質問のしかたが悪いときもあって、お互いの「あそこにあるアレ」が違う物を指しているようで、話がかみ合わない。
私にはパートナーの言わんとすることがわかったので、「○○で、△の長さのものがいいんですけど、カタログで言うとどれですか?」
と質問したら、すぐに納得。
これはまさに、先日の記事で指摘された、「ほしいものを明確にして質問する」ってことなんだけど。

それから、見積もりをとるにあたって、担当者は見積もりを取るためのヒアリングシートの順番で質問してくるのだけど、それに対し、パートナーはカタログをひっくり返しながら、回答する。
ヒアリングシートとカタログの順番が違うらしい。
そのうちパートナーは「すみません。カタログの順番で聞いてもらっていいですか?」と自分のペースでオーダーしはじめた。
そりゃそうよね。
担当者本位のヒアリングは顧客に不親切だわ。

そうそう、ここの担当者は、パートナーが質問したり話を進めているのに、私と目線が合うことが多く、私に説明しているようだった。
パートナーはどちらかというと、カタログを見ながら話を聴き、私は相手を見て聴いているからというのもあるだろうけど、他の2社に比べ、段違いに不自然に私を見ている。

買い物のキーを握るのは女性だということで、女性客の顔色に注意しなさいという教育を受けているのかなぁ。



『C社』
   ここの担当者は、こちらの話を、口を挟まずに聴いてくれて、私達が話したそうにすると、説明が途中でも、ちゃんと気がついて、説明を止めて、話を促してくれる。
笑顔が作っている感じで、若干不自然なところも感じたけど、すごく努力しているのが感じられる。
対応に関しては一番、わかりやすく、要領よく話がすすみ、満足度が高かった。
きっと、ここの会社は教育制度がしっかりしているんだろうなぁ。
担当者自身の努力もあると思うけど。



各社で珈琲や、紅茶や、緑茶なんかいただきながら、私はお気楽に見学し、接客応対を観察し、なんだか、楽しかった。
しかも研修ネタを仕入れた感もあり、おとくな感じ。

目的ナシにウィンドウショッピングとか、ショウルーム周りとかは苦手なんですが、こういうのだったら、好きってのは、私のどんな価値観が反応しているんでしょ。
そんな自分にもわらっちゃった一日でした。  


一番学んだのは私

2009年07月24日

ファシリテーター仲間の勉強会。
進行役が、これまで実践し効果のあがった実習事例を報告し、メンバーに体験してもらうもの。


2グループに別れ、テーマを決めた。

同じ実習をテーマを変えて二回行う。
一回目はやりかたを理解するために、取り組みやすそうな楽しそうなテーマを、与えられた中から選ぶ。


メンバーそれぞれ、ばらばらな意見だったけど、まぁいいかとほぼ全員がなんとなく妥協したテーマで取り組んだ。


結果・・・・
一回目の体験では、思った以上に楽しく、メンバーのことを知ることができて、関係が近くなったきがした。いまひとつなテーマだと思ったのに!
これは意外。


二回目は、本番・・ということで、一回目で実習の構造(やりかた)を知ったので、もう少し実践的なテーマに取り組む。

しかしながら、今回はほかのメンバー全員が乗り気だけど、私だけ、乗れないテーマ。

でもま、時間もないしここで合意形成するまでの時間をかけるよりも、勉強会の本題である実習体験のほうが大事かと、納得の上で妥協。

研修であたえられたテーマだとしたら、参加者の中にいまひとつ乗り切れない人がいることもある。
そんな参加者ロールで、この実習を体験したらどうなるのかなー?という好奇心でそのまま参加してみた。


結果・・・

私は、乗り切れないままで終わった。

途中なんどか、乗れそうな場面があったんだけど、不完全燃焼というか、あれれ?とメンバーとの温度差は埋まらない。
「なんでなんで?」私にはたくさん聞いてみたいことがあるのだけど、この実習を限られた時間の中で完成させたいと思う、私以外のメンバーは、困った顔。

なんでかなー?
私だけ何が違ってるのかなー?私の反応はみんなと違うの?

前の日飲みすぎて、調子も確かに今ひとつだったけど。
そのせいかな?

テーマが、ぴんときてないからかな・・

途中から内側に入ってしまい、参加できなくなった。


きづいたひとりのメンバーが声をかけてくれたけど、「二日酔いだからかなー?」とやり過ごす。
入れない寂しい気持ちがあるけど、なんだかよくわからないのよ、どうしてなのか。
前に進めたいみんなと私の間には気持ちのずれがあって、邪魔をしてはいけないような気がしていたみたいだ。

結局、私ひとりだけ「チームビルディングに効果的」という体験はできず。
逆に疎外感。

終了後、なんでかなぁと、ふりかえる。


まったく入れなかったわけじゃない。
テーマには共感できなかったけど、メンバーの話を聞きながら沸いてきた思いがあった。
訊いてみたいことがあったし、そこにかかわっていったこともあった。

だけど、1回目と違って、2回目は私以外のメンバーのなかに、実習を最後まで体験したい。アウトプットを出したいという欲求がおこり、課題達成に向かう力が強くなっていた。
実習の意図した構造を省略するような動きになっていて、先に進めようというエネルギーが場にあったため、私のかかわり(構造上もとめられていること)はほかのメンバーにとって阻害要因に感じられていた様子。
(これは終了後にふりかえって、気がついたこと)


そこで自分なりにわかったこと。

A)この実習をチームビルディングに使うには、メンバーが興味の持てるテーマであることが望ましいこと。

B)興味のもてない人がいたとしても、実習の構造上、メンバーの思いや価値観や、表面にはすぐにでてこないものが明らかになっていく過程で、共感や、好奇心が生まれ、参画しやすくなり、チームビルディングにつながるであろうこと。

C)課題達成に意識が向きすぎて、実習の構造がいかされず、表面的なアイデアのみの共有でアウトプットにいたった場合、テーマに興味のもてない人は、参画できないで終わる可能性があること。

D)メンバー全員が興味をもって取り組めるテーマであれば、課題達成に意識が向きすぎて、多少実習の構造が生かされず、アイデアのみの共有で、その裏の思いや価値観が明らかにならなくても、効果がありそうであること。(ほかのメンバーの満足度は高かったので)


よってファシリテーターとして、この実習を活用する際の注意点は、

アウトプット(成果物)が目的にならないよう、実習の構造が生かされるよう、必要に応じて介入する。
そのためには、すべてのグループに目が届くような人数であることが望ましい。


上記が原則ではあるけれども、参加メンバーが共通の目的を持って、テーマに取り組む土壌があるケース(スポーツチームが優勝にむかってチーム力をあげるために活用する場合など)には、多少目が届かないような人数(グループ数)であっても、効果的であるようだ。(これは勉強会担当者の実践事例より)。




当初の私の目的の「チームビルディングに役立つ」という実感は体験できなかった。
が、この実習を実施するうえでの、ファシリテーターの留意点が明確になり、これをしっかり実施していれば、効果的であろうという感触を持つことができた。

今回、メンバーとして満足感を得られなかったことで、私自身はこの実習を活用する上で、大いに学びになったというのが、なんだかとても興味深い。

案外、今回参加者の中で一番学んだのは私かもしれない(^^)

  


せんせい~(^^;

2009年07月23日

私の住む町周辺では、ペンションのオーナーたちの副業として、チームチャレンジや自然観察、MTB体験、クラフトなどのイントラ仕事が結構ある。


しかし、実際はこの時期、観光や子供の教育にかかわる人たちは忙しい。
イントラ(インストラクター)が足りずに私にまで声がかかることしばし。


正直なところ、私は直接子供にかかわる活動を好んではいない。大人対象がいい。
特に子供にかかわる大人たちのコミュニケーションやチーム力アップに関心がある。
とはいえ、請けた仕事、イントラが足りなければ困るのはわかるので「誰もあいてなかったら声かけて。」と最後に声がかかることになっている。


子供のチームチャレンジ活動のファシリテートをするのは、ファシリテーターとしての自分の「ありかた」の部分を見つめる機会になるので、定期的に点検する意味がある。



子供の活動のファシリテーションを主に仕事にしている人たちはキャラがたち、子供たちにも人気。場合によってはそのカリスマ的なところで、子供たちのモチベーションをあげているのかもしれない。


ファシリテーションや教育系のバックグラウンドがないイントラもいる。
しかし、経験から「待つ」「任せる」ことができる人もいるし、いつまでたっても、指示型でまるで先生のような人も。それでも活動の力で、ある程度の成果はある。



一方で私は、最初に興味を持ってもらえるよう、活動にひきこめたなら、あとは、なるべく存在を消す。
子供たちだけでものごとが進むように。
話し合いをするように。



だけど、私が黙って見守っていると先生が口をだしちゃうのよね。

「あ、ルール違反。あ、失敗した。もう一回やりなおし!」と指摘する。

「もっと声だしなさいよ。」先生が指示をするとメンバーから「こうしよう」がでてこなくなる。
「がんばれー!がんばれー!!」先生が大きく声援を送ればおくるほど、メンバーからの応援の言葉がでない。

「先生、口チャックでお願いします。」理由を伝えても、我慢できない先生。


先生、察してください~(××)。
失敗したら「自己申告」を最初から言い続けているのはなんのためか?私が基本、ジャッジしないのは、なんのためか。
必要最小限しか声をかけないのはなんのためか。


失敗したらオニになるけど、オニの役が楽しいゲームであれば、自己申告が抵抗なくできる。

そんな場面であっても今の子供たちはジャッジを先生や周囲のリーダー的な存在に求め、自分で判断できないケースがある。

「自分で考えて。間違ったんだったら、自分で交代してね。」

すこしづつ、活動のハードルをあげ、その中でも自己申告を求める。

申告しないとメンバーの中から指摘がでるケースもある。

誰かの失敗を責めるメンバーが出ることもある。

そんな中でも、失敗をフォローする声がけがでたり、気持ちを切り替えてがんばる雰囲気になったりもする。緊張した場面でも、失敗したら「ごめん!失敗した!」と言える子がでてくる。
それらを待ちたい。


グループは変化する。
丁寧なふりかえりが必要なケースもあるし、アクティビティの力で、変化することもある。





ルールを無視して、ごまかして「成功!」とする子供たちがいる。

それで満足度を訊くと、満足な子もいれば、ごまかしてたからいやだという子もいる。
もっとちゃんとやりたいという子供もでてくる。
そういうことがちゃんと言えるグループは、その次の活動では、変化がおきる。

一方で、ずっと真剣に取り組んできて、自分たちで厳しくやっていたのに、最後の最後でがんばってたメンバーが、ルールすれすれの危ういことになったとき、どうするんだろうと思ってみていたら、「ごめん、だめだった?」と不安そうに告白するのを「それくらいいいよ!」と受け入れるグループもあったし、
「あー、ざんねーん!」といいながら「がんばった」「気にしなくていいよ」と声をかけ、ふりかえりでは満足度いっぱいのグループもあった。



何度もごまかして達成でも全員が満足!というグループもある。

失敗しちゃったけど、言えなかったひととか、言いづらかったひととかいるんじゃないの?
どう?と声をかけても、みんなで、ない!と言い張るメンバーたち。
本音がいえない雰囲気だから、そういいながらも浮かない顔をしているケースがあるのはわかるのだけど、みんながみんな一様に、そう言い張る姿は異様。

先生がうるさく監視してきたようなグループは、先生の目をごまかして、とりあえずやるっていうことをこれまで繰り返してきているのかなぁ・・とそんなことを想像してしまう。



誰かが失敗すると課題の難易度があがるような活動では、すぐにリセットしたがる子供たち。
先生までも「リセットしちゃえ!」と声をかけるのを耳にして悲しくなる。


あまり語りたくはないのだけど、こんなふりかえりの場面では、ついつい語ってしまう。

「ねぇみんな。ゲームはリセットできるけど、人生はリセットできないでしょ。
一回くらい失敗したって、成功できたよね?
これまでだって、絶対無理!って最初に思ってたこと、クリアしてきたよね?
あきらめないのが大事だって気がついたって言ってたよね。
みんなにはそれだけの力があるんだよ。」


ここに書いたような先生は、一部ではあるのだけど、私はこういう先生方にこそ、こういう体験をしてもらいたいんだけどなぁ。
そしてファシリテーションについて知ってほしいのだけどなぁ。
もんもんとするのである。

  


かみ合わない会話

2009年07月15日

 kaneshige at 18:00  | Comments(0) | 傾聴
キャンプ場を使うかもしれない状況になったので、混雑状況の情報を入手するために電話をした。

あらかじめチェックしたHPでは、持ち込みテントに関しては予約が不要とある。
なので、予約状況を確認したところで無駄と思ったので、こんな風にたずねてみた。


私「夏休み中の例年の込み具合についてお伺いしたいのですが。」

管理人「ええと状況として8月は・・・」

私「ああ、ごめんなさい、伺いたい日にちは7月27日なんですが」

管理人「その日は、高校生の団体が入っています」

私「そうですか。それで高校生は常設のテントサイトに入るんですか?」

管理人「管理棟はわかりますか?」

私「入り口近くのトイレのそばですか?」

管理人「高校生は上のほうの常設テントに固まって入ります。160張に3、4人づつ入ります」

私「じゃあ、一般のサイトのほうは空いているってことですか?」

管理人「管理棟の横とか手前には、高校生はきません。」




・・・・・・

かみ合わない会話だ。


いつもなら、いらいらしてしまうところだけど、今回は相手の意図を汲み取ろうとしていたのか、向こうの言いたいことはとりあえず、理解したし、いらいらというより、あーあ、またかとあきれてるかんじかな。
だけど、ぜんぜんキャッチボールになってなくて、あれれ?あれれ?
とボールを見失う。

ついでに自分の投げたボールも見失ったらしい。

で、私の知りたいことは知ることができたんだっけ?



しまった!
そっちに気がとられていて、当日一般サイトの込み具合については、確認できてない・・
高校生が大量にいるということと、いても一般サイトにはこないってことはわかったけど、例年一般のお客がどのくらい入るのかっていうことは確認しそびれた。

これじゃ、現時点で予約が入っていることに関してだけじゃない?

はぁ~(^^;


まぁ、あえて、向こうが言わないってことは、大丈夫ってことと思うしかないか。

それにしても・・・・疲れる。

ちゃんと相手の話聞こうよ。キャッチボールしようよ・・・  


渦中の人になったとき

2009年07月14日

会議やグループ活動をしているなかで、ファシリテーター的なスタンスがいつも、そばにある。
日々生活の中では、必要に応じて、スイッチが入る。


会議で・・私が進行役ではなく、一メンバーだったとしても、少数意見の声の背景をきちんと受け止めた上で決議したいところ。
そのためのかかわりはたとえメンバーだったとしても出来る。
だけど、ときどき・・・・自分がたったひとりの違う意見を持った立場になったときなど・・・
「参加者でありながらのファシリ」スタンスではなく「当事者」でしかいられないことがやってくる。



ある会議において、出席者10名のうち7対1(保留2)の1の意見が私だった。

多数意見の理由はそれぞれから聞いた。

そして、自分の意見やその理由は伝えた。そのほかにたくさんの思いや感情があったのだけど、それは訊ねてはもらえず、伝えきることもできず、汲み取ってももらえず。

対抗する意見の理由をあらためて、自分個人に対し、言われるってことは「説得」ニュアンスになるんだなぁとあらためて気づきもありながら・・・・


私の思いは受け止めてもらえず。

「やめたくなったよ・・・・」って言ったけど、だれも気に留めてはもらえず・・・
悲しくなった。
あのときこの、「悲しい」気持ちを言って、理由を尋ねられてもうまくいえなかっただろうけど、今気づいた。私の気持ちが、そこにいる人たちに伝わった感じがしなかったからだ。

「意見」に同意されなくても、そこにいたる「気持ち」や「背景」を受け止めてもらえていたらもう少しこのもやもや感は違っていただろう。
とはいえ、今も納得出来ていないのだけど。


みんながそれがいいというのなら・・と引き下がってしまったけど、「もっと主張する」という選択肢もあったのだろうか・・・


保留者に意見を聞いてみたのだけど、言葉にならなかったり、途中でさえぎられたり。
今思えば、保留者の思いをもっと聞いてみたらよかったかもしれないなぁ。




別のケース。

ある意見交換会において、今なにが行われているのかぜんぜんついていけない感じを持っていた。

そしてその場の進行役から、私にも発言がもとめられ、感想を言えというのでいやいや感想を話したが、それを聞いた後、その場とは関係のない質問が、進行役から尋問のようにあり、もうさらに嫌で嫌でたまらなくなった。

もう私に質問はいいから他の人の話を聞いてくれと、私はその嫌な気持ちと、理由も伝えているのにその進行役は離してくれず、しかも侮辱ともとれるような発言まであって辟易していた。

もう少し丁寧に、自分の気持ちと向き合って、それを言葉に乗せられたら良かったんだろうけど・・なんだか、めげてしまって。

だけど、私がここで踏ん張っていたら、この進行役に大勢の前で恥をかかすことになってしまうのでは?
それに私は、違う学びが欲しくてここに来ているのに・・・・
ほかの人だって・・・・そんな思いもあり、逃げてしまった(涙)


救いは、同じように感じていた参加者がほかにもいたこと。
私の気持ちを感じ取ってくれた人がいたこと。そしてそれを発言してくれたこと。
「あなたは○さん(私のこと)を尊重していない気がして不愉快です」
それさえも、その進行役は受け取ることは出来ず、私にパスを回してきた。


私が退場したあとも、そのやりとりはしばらく続いたらしいけど、私はあの場にはいられなかったな・・
結局、そのやりとりを経ても、場の運営は何も変わらなかったらしく、私がそのままあそこにいても、参加の目的を果たすことは出来そうになかったけど。

どうしたらよかったのかな。



自分が渦中になってしまうと、自分のプロセスをきちんと出しきれればいいのかもしれないけど、いつもいつもそうは出来ず。
だから伝わりづらいのかな。

ファシリテーターがほしいな。

  


学生の成長と私の成長?

2009年07月13日

先日・・新潟、妙高にて専門学校の3年生前期のファシリテーション演習の最終授業。


事前に担当を決めて、最終日に適当と思われる実習を、進行、ふりかえりを学生に実施してもらう。

メンバー個人個人も自分の成長を、そしてメンバーの変化、成長を実感している様子。

「今の自分だったら、以前参加したグループでの登山実習でのハプニングのようなときに、もう少し違うかかわりができそうな気がする。」

それでも、
「ほかのグループでも、今のこの場のように、安心して意見を言うことができるんだろうか」


ちょうど良いタイミングで、そんな感想もでたので、「グループの成長」についての話をする。


自然と腑に落ちたようだ。

この場で出来た事は、ほかでも実現できるはず。この感覚を忘れずに、それぞれの道に生かして欲しい。




カリキュラムはあって、ないようなもの。
去年と今年、授業の回数は少し減り、シラバスの内容はほぼ同じではあったけど、メンバーが違うと起こることも変わり、ふりかえると全然違う授業をしたかのような感覚。


前の学年にはどちらかというと、スキル的なこととして伝わった気がするけど、この学年には、違う届き方をしたような気がする。
スキルというよりは、自分の内面に問いかけるような・・自分たちの成長を通じて、ファシリテーションを感覚的にとらえたような?


「先生」としては意図してそうしたのなら、かっこいいけど、そうでもない。

もう少し分析して、次につなげたい。
私もともに成長しよう。



3年目、慣れてきて慢心しないよう、初心で、秋からの新しい出会いに向き合おう。