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プロフィール
kaneshige
兼重尚子(かねしげたかこ)

人間関係ファシリテーター


ライフコーチ


米国CTI認定プロフェッショナルコーチ


ヴォイス認定ソースベーシックトレーナー


信濃町認定森林メディカルトレーナー


ネイチャーゲームリーダー


妙高アドベンチャープログラムファシリテーター


プロジェクトワイルドエジュケーター



兼重コーチング事務所代表


(株)コーチング・ラボ・ウエスト長野支部長


TEAM100 構成員


国際自然環境アウトドア専門学校非常勤講師


メール coach-kaneshige@nifty.com


心を閉じさせる営業マン

2009年07月29日

 kaneshige at 10:48  | Comments(0) | 思うこと
自宅で。

ついうっかり、鍵をかけずにいた。


どこか遠くで人の声がしたような気がする。
誰かきたのかな?
ご近所さんの誰かが外でお話しているのかな?

と、玄関に通じる扉を開けたら・・・・


そこに人が立っていた。









もう本当に驚いてしまって。その場で固まってしまった。



家の中にあがりこんでいるわけではないのだけど。



スーツを着た若い男の人が何かを私に向かってしゃべっているんだけど、耳に入ってこない。





ようやく「どなたですか」
と口を開いた私。



すると早口でなにか言った後、「近隣のよしみで薬箱を置いてほしいんです。」




・・・・・・・


なにがなんだかわからない。
今思えば確かに近隣の町にある業者なんだろうけど、富山の薬売り方式ってこと?



知り合いでもないのに「近隣のよしみ」って間違ってるんじゃ?



「いらないです。」




相手はなんとか食い下がろうとまた何か口を開くんだけど、本当に何を言ってるんだか頭に入ってこなくて、私はかたまったままだった。
私は玄関にはいない。




私が相手の話に受け答えせず、たぶん相手の話の脈絡を無視して言ったのは




私「あの。呼び鈴、壊れてました?」
相手「いや?鳴らしてみましょうか?」
ピーんポーン・・・鳴った。


私「私びっくりしてしまって・・・怖かったです。
話耳に入らないし、気持ちがあなたをシャットアウトしちゃって・・・・・

・・・・・チャイムちゃんと鳴らして、ドア勝手にあけないほうがいいですよ・・・・・」


かたまったままの調子でようやく伝えたら、理解したのか?「はぁ、スミマセン・・・」
と扉を閉めて帰っていった。


私が速攻で鍵を閉めたのはいうまでもない。





相手に対してもそうだけど、自分自身の驚き具合と固まり具合に一番驚いている。
こんな風になる自分に出会ったのは初めて。

  


山岳ガイドとファシリテーション

2009年07月26日

夏山ツアーでの低体温症による死亡遭難事故の話を聞き、痛ましく思う。
メディアの情報では、ガイドの判断ミスの印象が強い。

想定外のことが次々に起こったのかもしれない。
詳細はわからないけど。

以下はネットでの読売新聞の記事から引用。
 「公募で集まったメンバーは、ほとんどが初対面。コミュニケーション不足が危険を招きかねない」。こう語るのは、中高年のパーティーを国内外の高峰に案内してきた日本勤労者山岳連盟理事の石原裕一郎さん(46)。

 何度か公募パーティーに参加した経験がある女性(70)も、「参加者の体力や技術に差があったため、隊列が長くなって、はぐれそうになったことがある」と証言する。悪天候に見舞われ、先に進むか引き返すかでパーティーの意見が真っ二つに割れるという事態も、この女性は経験したという。

 今回のアミューズトラベルのツアーに参加した15人は、広島、中部、仙台の各空港から新千歳空港に到着する便を利用して集まった即席パーティーだった。

 登山家の田部井淳子さん(69)は公募パーティーについて、「1人では難しい山にも気軽に登れるなど魅力がたくさんある」としながらも、「見知らぬ人ばかりのため『きつくて歩けない』と言い出しにくい雰囲気になる」と問題点を強調。

 さらに「帰りの飛行機の時間が決まっており、天気が急変しても、日程を変更しにくい面がある」と話し、「予備日を設けているなど、余裕のある日程の組まれたツアーを選んだ方がよい」と参加者にアドバイスする。(後藤将洋)
              (2009年7月18日02時55分 読売新聞)


周囲には学校登山のガイドをする人間が多くいる。
そんな関係で耳にする事から考えるに、現場のガイドと募集をかける会社との意見の違いもあるだろう。
本当は日程の組み方とか、パーティの人数とか、技術や経験の違いとか、考慮してパーティを組むとか、救助をよぶときの判断基準とか、ガイドの人数とか、ガイドのほうから要望がでていても、改善されないこともあるだろう。
だからガイドのことだけを言うのは、片手落ちのようにも思う。


だけど、このような公募ツアーをガイドする人は、個人登山者の集団としてのグループを案内し、状況を判断し決定する単なるガイドとしてではなく、最初から「チーム」づくりを意図しながらファシリテーターとして関わっていたらどうだろう?

参加者同士が話をし易い環境作りをしたり、自分の状況を遠慮せず素直に口に出せる雰囲気作りとか。少なくともガイドと参加者の間にはなんでも言える、相談できる関係を作り出す必要もあるのでは?
言えない人に気がついて、声をかけ状況を把握するとか。

どんな仕事においても、大勢の人たちに関わる人たちにファシリテーションは必要な考え方だと、あらためて思う。



今回の事について安易な事はいえないけれども、山岳ガイドに関わる人にも知ってほしいことだと思った。


亡くなった方のご冥福を祈ります。合掌。
  


接客応対観察

2009年07月26日

 kaneshige at 18:10  | Comments(0) | 傾聴
ちょっと値の張るものを購入検討のため、ショウルームを周って見積もりをとった。
3社ほどまわり、パートナーが話を進めているあいだ、私は職業病か、担当者の受け答えを観察してしまい(^^;
・・・・・・・・・面白かった。



『A社』
    質問すると、いろんな情報を織り交ぜながら、最後に結論を言うので、ちょっとわかりづらいのだけど、なんとか得たい情報は得られた。
わかりづらいけど、担当者の態度が一生懸命で、こちらの質問の応えにたどりつけるように、考えながら話しているのが誠実に見えた。
新人だったのかもしれない。
あるいは、質問に答えてないよと指摘された事があって、気をつけているのかな?なんだか、そんな印象が。
とはいえ好印象。

でも、見積もりを出すあいだ、ほかを見学している所にやってきて、見積もりをその場で見せてくれるでもなく、袋にいれて「ハイ」と渡されたのは残念だなー。
だって、結局袋を開けてその場で見たもの。



『B社』
   質問に対して、担当者は考えているような様子は見られず、よどみなく言葉がでてくる。知識豊富なベテランなのかもしれない。年齢は3社の中で一番上。
だけど、必要以上に、たくさんの情報を話してくれるので、なにがなんだかわからない。しかも、得たい答えが得られない。これって、どうなんだ???


とはいえ、パートナーの質問のしかたが悪いときもあって、お互いの「あそこにあるアレ」が違う物を指しているようで、話がかみ合わない。
私にはパートナーの言わんとすることがわかったので、「○○で、△の長さのものがいいんですけど、カタログで言うとどれですか?」
と質問したら、すぐに納得。
これはまさに、先日の記事で指摘された、「ほしいものを明確にして質問する」ってことなんだけど。

それから、見積もりをとるにあたって、担当者は見積もりを取るためのヒアリングシートの順番で質問してくるのだけど、それに対し、パートナーはカタログをひっくり返しながら、回答する。
ヒアリングシートとカタログの順番が違うらしい。
そのうちパートナーは「すみません。カタログの順番で聞いてもらっていいですか?」と自分のペースでオーダーしはじめた。
そりゃそうよね。
担当者本位のヒアリングは顧客に不親切だわ。

そうそう、ここの担当者は、パートナーが質問したり話を進めているのに、私と目線が合うことが多く、私に説明しているようだった。
パートナーはどちらかというと、カタログを見ながら話を聴き、私は相手を見て聴いているからというのもあるだろうけど、他の2社に比べ、段違いに不自然に私を見ている。

買い物のキーを握るのは女性だということで、女性客の顔色に注意しなさいという教育を受けているのかなぁ。



『C社』
   ここの担当者は、こちらの話を、口を挟まずに聴いてくれて、私達が話したそうにすると、説明が途中でも、ちゃんと気がついて、説明を止めて、話を促してくれる。
笑顔が作っている感じで、若干不自然なところも感じたけど、すごく努力しているのが感じられる。
対応に関しては一番、わかりやすく、要領よく話がすすみ、満足度が高かった。
きっと、ここの会社は教育制度がしっかりしているんだろうなぁ。
担当者自身の努力もあると思うけど。



各社で珈琲や、紅茶や、緑茶なんかいただきながら、私はお気楽に見学し、接客応対を観察し、なんだか、楽しかった。
しかも研修ネタを仕入れた感もあり、おとくな感じ。

目的ナシにウィンドウショッピングとか、ショウルーム周りとかは苦手なんですが、こういうのだったら、好きってのは、私のどんな価値観が反応しているんでしょ。
そんな自分にもわらっちゃった一日でした。  


一番学んだのは私

2009年07月24日

ファシリテーター仲間の勉強会。
進行役が、これまで実践し効果のあがった実習事例を報告し、メンバーに体験してもらうもの。


2グループに別れ、テーマを決めた。

同じ実習をテーマを変えて二回行う。
一回目はやりかたを理解するために、取り組みやすそうな楽しそうなテーマを、与えられた中から選ぶ。


メンバーそれぞれ、ばらばらな意見だったけど、まぁいいかとほぼ全員がなんとなく妥協したテーマで取り組んだ。


結果・・・・
一回目の体験では、思った以上に楽しく、メンバーのことを知ることができて、関係が近くなったきがした。いまひとつなテーマだと思ったのに!
これは意外。


二回目は、本番・・ということで、一回目で実習の構造(やりかた)を知ったので、もう少し実践的なテーマに取り組む。

しかしながら、今回はほかのメンバー全員が乗り気だけど、私だけ、乗れないテーマ。

でもま、時間もないしここで合意形成するまでの時間をかけるよりも、勉強会の本題である実習体験のほうが大事かと、納得の上で妥協。

研修であたえられたテーマだとしたら、参加者の中にいまひとつ乗り切れない人がいることもある。
そんな参加者ロールで、この実習を体験したらどうなるのかなー?という好奇心でそのまま参加してみた。


結果・・・

私は、乗り切れないままで終わった。

途中なんどか、乗れそうな場面があったんだけど、不完全燃焼というか、あれれ?とメンバーとの温度差は埋まらない。
「なんでなんで?」私にはたくさん聞いてみたいことがあるのだけど、この実習を限られた時間の中で完成させたいと思う、私以外のメンバーは、困った顔。

なんでかなー?
私だけ何が違ってるのかなー?私の反応はみんなと違うの?

前の日飲みすぎて、調子も確かに今ひとつだったけど。
そのせいかな?

テーマが、ぴんときてないからかな・・

途中から内側に入ってしまい、参加できなくなった。


きづいたひとりのメンバーが声をかけてくれたけど、「二日酔いだからかなー?」とやり過ごす。
入れない寂しい気持ちがあるけど、なんだかよくわからないのよ、どうしてなのか。
前に進めたいみんなと私の間には気持ちのずれがあって、邪魔をしてはいけないような気がしていたみたいだ。

結局、私ひとりだけ「チームビルディングに効果的」という体験はできず。
逆に疎外感。

終了後、なんでかなぁと、ふりかえる。


まったく入れなかったわけじゃない。
テーマには共感できなかったけど、メンバーの話を聞きながら沸いてきた思いがあった。
訊いてみたいことがあったし、そこにかかわっていったこともあった。

だけど、1回目と違って、2回目は私以外のメンバーのなかに、実習を最後まで体験したい。アウトプットを出したいという欲求がおこり、課題達成に向かう力が強くなっていた。
実習の意図した構造を省略するような動きになっていて、先に進めようというエネルギーが場にあったため、私のかかわり(構造上もとめられていること)はほかのメンバーにとって阻害要因に感じられていた様子。
(これは終了後にふりかえって、気がついたこと)


そこで自分なりにわかったこと。

A)この実習をチームビルディングに使うには、メンバーが興味の持てるテーマであることが望ましいこと。

B)興味のもてない人がいたとしても、実習の構造上、メンバーの思いや価値観や、表面にはすぐにでてこないものが明らかになっていく過程で、共感や、好奇心が生まれ、参画しやすくなり、チームビルディングにつながるであろうこと。

C)課題達成に意識が向きすぎて、実習の構造がいかされず、表面的なアイデアのみの共有でアウトプットにいたった場合、テーマに興味のもてない人は、参画できないで終わる可能性があること。

D)メンバー全員が興味をもって取り組めるテーマであれば、課題達成に意識が向きすぎて、多少実習の構造が生かされず、アイデアのみの共有で、その裏の思いや価値観が明らかにならなくても、効果がありそうであること。(ほかのメンバーの満足度は高かったので)


よってファシリテーターとして、この実習を活用する際の注意点は、

アウトプット(成果物)が目的にならないよう、実習の構造が生かされるよう、必要に応じて介入する。
そのためには、すべてのグループに目が届くような人数であることが望ましい。


上記が原則ではあるけれども、参加メンバーが共通の目的を持って、テーマに取り組む土壌があるケース(スポーツチームが優勝にむかってチーム力をあげるために活用する場合など)には、多少目が届かないような人数(グループ数)であっても、効果的であるようだ。(これは勉強会担当者の実践事例より)。




当初の私の目的の「チームビルディングに役立つ」という実感は体験できなかった。
が、この実習を実施するうえでの、ファシリテーターの留意点が明確になり、これをしっかり実施していれば、効果的であろうという感触を持つことができた。

今回、メンバーとして満足感を得られなかったことで、私自身はこの実習を活用する上で、大いに学びになったというのが、なんだかとても興味深い。

案外、今回参加者の中で一番学んだのは私かもしれない(^^)

  


せんせい~(^^;

2009年07月23日

私の住む町周辺では、ペンションのオーナーたちの副業として、チームチャレンジや自然観察、MTB体験、クラフトなどのイントラ仕事が結構ある。


しかし、実際はこの時期、観光や子供の教育にかかわる人たちは忙しい。
イントラ(インストラクター)が足りずに私にまで声がかかることしばし。


正直なところ、私は直接子供にかかわる活動を好んではいない。大人対象がいい。
特に子供にかかわる大人たちのコミュニケーションやチーム力アップに関心がある。
とはいえ、請けた仕事、イントラが足りなければ困るのはわかるので「誰もあいてなかったら声かけて。」と最後に声がかかることになっている。


子供のチームチャレンジ活動のファシリテートをするのは、ファシリテーターとしての自分の「ありかた」の部分を見つめる機会になるので、定期的に点検する意味がある。



子供の活動のファシリテーションを主に仕事にしている人たちはキャラがたち、子供たちにも人気。場合によってはそのカリスマ的なところで、子供たちのモチベーションをあげているのかもしれない。


ファシリテーションや教育系のバックグラウンドがないイントラもいる。
しかし、経験から「待つ」「任せる」ことができる人もいるし、いつまでたっても、指示型でまるで先生のような人も。それでも活動の力で、ある程度の成果はある。



一方で私は、最初に興味を持ってもらえるよう、活動にひきこめたなら、あとは、なるべく存在を消す。
子供たちだけでものごとが進むように。
話し合いをするように。



だけど、私が黙って見守っていると先生が口をだしちゃうのよね。

「あ、ルール違反。あ、失敗した。もう一回やりなおし!」と指摘する。

「もっと声だしなさいよ。」先生が指示をするとメンバーから「こうしよう」がでてこなくなる。
「がんばれー!がんばれー!!」先生が大きく声援を送ればおくるほど、メンバーからの応援の言葉がでない。

「先生、口チャックでお願いします。」理由を伝えても、我慢できない先生。


先生、察してください~(××)。
失敗したら「自己申告」を最初から言い続けているのはなんのためか?私が基本、ジャッジしないのは、なんのためか。
必要最小限しか声をかけないのはなんのためか。


失敗したらオニになるけど、オニの役が楽しいゲームであれば、自己申告が抵抗なくできる。

そんな場面であっても今の子供たちはジャッジを先生や周囲のリーダー的な存在に求め、自分で判断できないケースがある。

「自分で考えて。間違ったんだったら、自分で交代してね。」

すこしづつ、活動のハードルをあげ、その中でも自己申告を求める。

申告しないとメンバーの中から指摘がでるケースもある。

誰かの失敗を責めるメンバーが出ることもある。

そんな中でも、失敗をフォローする声がけがでたり、気持ちを切り替えてがんばる雰囲気になったりもする。緊張した場面でも、失敗したら「ごめん!失敗した!」と言える子がでてくる。
それらを待ちたい。


グループは変化する。
丁寧なふりかえりが必要なケースもあるし、アクティビティの力で、変化することもある。





ルールを無視して、ごまかして「成功!」とする子供たちがいる。

それで満足度を訊くと、満足な子もいれば、ごまかしてたからいやだという子もいる。
もっとちゃんとやりたいという子供もでてくる。
そういうことがちゃんと言えるグループは、その次の活動では、変化がおきる。

一方で、ずっと真剣に取り組んできて、自分たちで厳しくやっていたのに、最後の最後でがんばってたメンバーが、ルールすれすれの危ういことになったとき、どうするんだろうと思ってみていたら、「ごめん、だめだった?」と不安そうに告白するのを「それくらいいいよ!」と受け入れるグループもあったし、
「あー、ざんねーん!」といいながら「がんばった」「気にしなくていいよ」と声をかけ、ふりかえりでは満足度いっぱいのグループもあった。



何度もごまかして達成でも全員が満足!というグループもある。

失敗しちゃったけど、言えなかったひととか、言いづらかったひととかいるんじゃないの?
どう?と声をかけても、みんなで、ない!と言い張るメンバーたち。
本音がいえない雰囲気だから、そういいながらも浮かない顔をしているケースがあるのはわかるのだけど、みんながみんな一様に、そう言い張る姿は異様。

先生がうるさく監視してきたようなグループは、先生の目をごまかして、とりあえずやるっていうことをこれまで繰り返してきているのかなぁ・・とそんなことを想像してしまう。



誰かが失敗すると課題の難易度があがるような活動では、すぐにリセットしたがる子供たち。
先生までも「リセットしちゃえ!」と声をかけるのを耳にして悲しくなる。


あまり語りたくはないのだけど、こんなふりかえりの場面では、ついつい語ってしまう。

「ねぇみんな。ゲームはリセットできるけど、人生はリセットできないでしょ。
一回くらい失敗したって、成功できたよね?
これまでだって、絶対無理!って最初に思ってたこと、クリアしてきたよね?
あきらめないのが大事だって気がついたって言ってたよね。
みんなにはそれだけの力があるんだよ。」


ここに書いたような先生は、一部ではあるのだけど、私はこういう先生方にこそ、こういう体験をしてもらいたいんだけどなぁ。
そしてファシリテーションについて知ってほしいのだけどなぁ。
もんもんとするのである。

  


かみ合わない会話

2009年07月15日

 kaneshige at 18:00  | Comments(0) | 傾聴
キャンプ場を使うかもしれない状況になったので、混雑状況の情報を入手するために電話をした。

あらかじめチェックしたHPでは、持ち込みテントに関しては予約が不要とある。
なので、予約状況を確認したところで無駄と思ったので、こんな風にたずねてみた。


私「夏休み中の例年の込み具合についてお伺いしたいのですが。」

管理人「ええと状況として8月は・・・」

私「ああ、ごめんなさい、伺いたい日にちは7月27日なんですが」

管理人「その日は、高校生の団体が入っています」

私「そうですか。それで高校生は常設のテントサイトに入るんですか?」

管理人「管理棟はわかりますか?」

私「入り口近くのトイレのそばですか?」

管理人「高校生は上のほうの常設テントに固まって入ります。160張に3、4人づつ入ります」

私「じゃあ、一般のサイトのほうは空いているってことですか?」

管理人「管理棟の横とか手前には、高校生はきません。」




・・・・・・

かみ合わない会話だ。


いつもなら、いらいらしてしまうところだけど、今回は相手の意図を汲み取ろうとしていたのか、向こうの言いたいことはとりあえず、理解したし、いらいらというより、あーあ、またかとあきれてるかんじかな。
だけど、ぜんぜんキャッチボールになってなくて、あれれ?あれれ?
とボールを見失う。

ついでに自分の投げたボールも見失ったらしい。

で、私の知りたいことは知ることができたんだっけ?



しまった!
そっちに気がとられていて、当日一般サイトの込み具合については、確認できてない・・
高校生が大量にいるということと、いても一般サイトにはこないってことはわかったけど、例年一般のお客がどのくらい入るのかっていうことは確認しそびれた。

これじゃ、現時点で予約が入っていることに関してだけじゃない?

はぁ~(^^;


まぁ、あえて、向こうが言わないってことは、大丈夫ってことと思うしかないか。

それにしても・・・・疲れる。

ちゃんと相手の話聞こうよ。キャッチボールしようよ・・・  


渦中の人になったとき

2009年07月14日

会議やグループ活動をしているなかで、ファシリテーター的なスタンスがいつも、そばにある。
日々生活の中では、必要に応じて、スイッチが入る。


会議で・・私が進行役ではなく、一メンバーだったとしても、少数意見の声の背景をきちんと受け止めた上で決議したいところ。
そのためのかかわりはたとえメンバーだったとしても出来る。
だけど、ときどき・・・・自分がたったひとりの違う意見を持った立場になったときなど・・・
「参加者でありながらのファシリ」スタンスではなく「当事者」でしかいられないことがやってくる。



ある会議において、出席者10名のうち7対1(保留2)の1の意見が私だった。

多数意見の理由はそれぞれから聞いた。

そして、自分の意見やその理由は伝えた。そのほかにたくさんの思いや感情があったのだけど、それは訊ねてはもらえず、伝えきることもできず、汲み取ってももらえず。

対抗する意見の理由をあらためて、自分個人に対し、言われるってことは「説得」ニュアンスになるんだなぁとあらためて気づきもありながら・・・・


私の思いは受け止めてもらえず。

「やめたくなったよ・・・・」って言ったけど、だれも気に留めてはもらえず・・・
悲しくなった。
あのときこの、「悲しい」気持ちを言って、理由を尋ねられてもうまくいえなかっただろうけど、今気づいた。私の気持ちが、そこにいる人たちに伝わった感じがしなかったからだ。

「意見」に同意されなくても、そこにいたる「気持ち」や「背景」を受け止めてもらえていたらもう少しこのもやもや感は違っていただろう。
とはいえ、今も納得出来ていないのだけど。


みんながそれがいいというのなら・・と引き下がってしまったけど、「もっと主張する」という選択肢もあったのだろうか・・・


保留者に意見を聞いてみたのだけど、言葉にならなかったり、途中でさえぎられたり。
今思えば、保留者の思いをもっと聞いてみたらよかったかもしれないなぁ。




別のケース。

ある意見交換会において、今なにが行われているのかぜんぜんついていけない感じを持っていた。

そしてその場の進行役から、私にも発言がもとめられ、感想を言えというのでいやいや感想を話したが、それを聞いた後、その場とは関係のない質問が、進行役から尋問のようにあり、もうさらに嫌で嫌でたまらなくなった。

もう私に質問はいいから他の人の話を聞いてくれと、私はその嫌な気持ちと、理由も伝えているのにその進行役は離してくれず、しかも侮辱ともとれるような発言まであって辟易していた。

もう少し丁寧に、自分の気持ちと向き合って、それを言葉に乗せられたら良かったんだろうけど・・なんだか、めげてしまって。

だけど、私がここで踏ん張っていたら、この進行役に大勢の前で恥をかかすことになってしまうのでは?
それに私は、違う学びが欲しくてここに来ているのに・・・・
ほかの人だって・・・・そんな思いもあり、逃げてしまった(涙)


救いは、同じように感じていた参加者がほかにもいたこと。
私の気持ちを感じ取ってくれた人がいたこと。そしてそれを発言してくれたこと。
「あなたは○さん(私のこと)を尊重していない気がして不愉快です」
それさえも、その進行役は受け取ることは出来ず、私にパスを回してきた。


私が退場したあとも、そのやりとりはしばらく続いたらしいけど、私はあの場にはいられなかったな・・
結局、そのやりとりを経ても、場の運営は何も変わらなかったらしく、私がそのままあそこにいても、参加の目的を果たすことは出来そうになかったけど。

どうしたらよかったのかな。



自分が渦中になってしまうと、自分のプロセスをきちんと出しきれればいいのかもしれないけど、いつもいつもそうは出来ず。
だから伝わりづらいのかな。

ファシリテーターがほしいな。

  


学生の成長と私の成長?

2009年07月13日

先日・・新潟、妙高にて専門学校の3年生前期のファシリテーション演習の最終授業。


事前に担当を決めて、最終日に適当と思われる実習を、進行、ふりかえりを学生に実施してもらう。

メンバー個人個人も自分の成長を、そしてメンバーの変化、成長を実感している様子。

「今の自分だったら、以前参加したグループでの登山実習でのハプニングのようなときに、もう少し違うかかわりができそうな気がする。」

それでも、
「ほかのグループでも、今のこの場のように、安心して意見を言うことができるんだろうか」


ちょうど良いタイミングで、そんな感想もでたので、「グループの成長」についての話をする。


自然と腑に落ちたようだ。

この場で出来た事は、ほかでも実現できるはず。この感覚を忘れずに、それぞれの道に生かして欲しい。




カリキュラムはあって、ないようなもの。
去年と今年、授業の回数は少し減り、シラバスの内容はほぼ同じではあったけど、メンバーが違うと起こることも変わり、ふりかえると全然違う授業をしたかのような感覚。


前の学年にはどちらかというと、スキル的なこととして伝わった気がするけど、この学年には、違う届き方をしたような気がする。
スキルというよりは、自分の内面に問いかけるような・・自分たちの成長を通じて、ファシリテーションを感覚的にとらえたような?


「先生」としては意図してそうしたのなら、かっこいいけど、そうでもない。

もう少し分析して、次につなげたい。
私もともに成長しよう。



3年目、慣れてきて慢心しないよう、初心で、秋からの新しい出会いに向き合おう。

  


奈良ワールドカフェのお知らせ

2009年06月27日

ファシリテーションつながりの友人の企画のお知らせです。
たくさんの方にお知らせしたいので、転送など、大歓迎です。



1010(遷都)のワクワクが生まれる他花受粉な対話 その(1)
~ワールドカフェという出会い&対話の場作り~


1010(遷都)のワクワクが生まれる他花受粉な対話 その(1)
~多数決を超えた市民の対話によるまちづくりの可能性~

他花受粉な対話とは、みつばちが蜜を求めて色々な花の間を飛び回ることで、異なる花どうしが受粉して新種の花が生まれるように、参加者がテーブルからテーブルへ移動しながら対話し、各テーブルでの多様な洞察を結びつけることで、思いがけない創造的なアイデアやワクワク感が生まれる対話です。
私たちは、この対話の力を使って、人々がかかわり、そしてむすびつき、今よりもっとワクワクすることが出来たらいいなと考え、継続的にこの奈良のまちでワールドカフェ※を行っていきたいと考えています。
今回は、その第1回目。ゲストに地元奈良のNPO活動の草分けであり、奈良町の保存に尽力し、いま奈良で市民主権の自治体経営をおしすすめる活動をされている木原勝彬さん(ローカル・ガバナンス研究所・所長)をお迎えします。多様な市民が参加し、地域の日常的な課題を市民が対話によって解決をはかる。そのような対話が持つ力と対話の場作りについて、これまでの活動をベースにしながらオープンに語っていただきます。
その後に、ワールドカフェでテーブルごとに参加者+ゲストの対話を行います。

※ワールドカフェとは
カフェの会話を会議室や話し合いに持ち込んだら?ということで生まれた、オープンで創造的な話し合いを生み出す対話のプログラムです。
カフェのような小さなテーブルを会場中にたくさん置いて、参加者がテーブルを移動することでメンバー変更を繰り返しながらグループで対話します。終わった後は、まるで会場の全員と話したような一体感とワクワク感が生まれる、楽しさと創造性にあふれる対話の場です。

プログラム






第一部

ゲストのトーク

ゲストトーク60分&ディスカッション30分


第二部

ワールドカフェ

30分×3ラウンド


第三部


ボディーパーカッションを
使ったドラムサークル

からだを使った手軽な
ドラムサークルのセッション15分
途中、おいしい大和茶とお菓子で、奇麗なお庭を見ながらゆっくりしていただく時間も用意しております。

ゲスト紹介

木原勝彬(きはら かつあきら)

1945年、奈良市生まれ。関西学院大学法学部卒業後、民間会社を経て、奈良町の歴史的町並み保存運動を興し、NPOの世界に入って30年。(社)奈良まちづくりセンター理事長、(特活)NPO政策研究所理事長を経て、2005年4月から現職。政策研究ネットワーク「なら・未来」代表、大阪市立大学大学院非常勤講師ほかを兼務。この間、「住民自治とは何か」、「市民・NPOと行政の協働はどうあるべきか」、「話し合いのプロセスを尊重する討議民主主義の定着化は」などについて思いをめぐらせる。現在、その数々の思いの、また自身のNPO人生の集大成の活動として、「市民による、市民のための、市民の自治体」としての「市民主権型自治体」の構築を奈良で実現することを夢みる。著書に『NPOと
行政の協働の手引き』(共著)『新しい自治のしくみづくり』(共著)がある。

開催日時
2009年7月18日(土) 13:30~18:00(13:00開場・受付開始)

場所
国際奈良学セミナーハウス
(近鉄奈良駅より東へ徒歩10分 奈良県庁過ぎてすぐ)
奈良県奈良市登大路町63番地 
TEL: 0742-23-5821 
http: //nara-manabi.com/

申込方法
以下の受付メールアドレスまたはFAX番号まで、
7月17日までに必要情報をお送りください。
● 受付メールアドレス 
takajnara@yahoo.co.jp
● 受付FAX番号
 0742-27-7113 
● 必要情報 
1.お名前 2.お仕事 3.住所 4.メールアドレス 5.ご年代(例:30歳代) 6.何を期待しますか 7.当日の緊急連絡先(携帯電話番号など)

定員
50名(定員に達し次第、申し込みを締め切らせていただきます)

参加費・振込先
1,500円
(ユカタ割引あり:ユカタで参加の方は当日100円返金します)
参加費は指定の銀行口座にお振込下さい。銀行口座は申込された方に別途メール等でお知らせします。

その他
会場は古い建物を移築した奈良公園すぐの情緒豊かな風情のある施設です。初夏の暑い中ですが、エアコンがありませんのでお庭の緑と風を涼としております。お出かけの際は、団扇などお持ちになって涼しい服装でおいで下さい。

企画事務局
タカジュフン@奈良
代表: 山岸 裕(やまぎし ゆたか)
〒630-8113 奈良市法蓮町933番地
TEL : 090-7107-7088 
e-mail : takajnara@yahoo.co.jp

*申込の際にいただいた個人情報は、タカジュフン@奈良の主催するイベントの企画・案内に使用する以外には一切使用しません。また、個人情報は厳重に管理致します。

*このイベントは、いかなる宗教団体の活動とも一切関係ありません。  


裁判員制度とファシリテーター

2009年06月20日

裁判員に選ばれたら・・・「参加したいか」「参加したくないか」
というような街角アンケートをテレビでやっていた。

参加したいを1とすると、したくないが1.5くらいの結果だった。



そのなかで、理由を話しているなかで自信を持って「自分の意見を言えますよ。死刑も」ということを言っているひとがいたけど、危ういなぁと思う。
そういう人が怖いと思う。
自分の一方的なものの観方に固執して、他者の意見には耳を傾けず、声は大きく、他者を圧倒してしまいそうな気がして。


これは、自分の体験として思う。
実際私自身が上記のタイプの人間だったからだ。

だけど、人間関係、ファシリテーションを学んで自分自身が他者にどういう影響を与えているのかを知った。
そして、他者の真意に耳を傾けることで、多様な考え方を知り、自分がいかに偏ったものの見方をしていたのかにもきがついたし、そこから、最初の自分の考えが180度ひっくりかえる体験もした。
自分がいままで、どれだけおごった人間であったのかを知った。
だからこそ思う。


そういうひとも、他者の多様な物の見方考え方を聴くことで、変化していく可能性はあるのだけど、果たして、裁判員の議論の場で、公平に全ての裁判員の意見を明らかにしていけるのだろうか?

国会を見ていても、テレビで政治家の公開討論を見ていても、お互いの主張ばかりで、けなしあいばかりで、お互いの考えの真意を聴いていこうとか、歩み寄ろうという姿は見られない。

裁判員の議論の場において、ひとりひとり意見を聞くことがあったとしても、全員が全員、上手く伝えられるとは限らない。
そこを、ちゃんと真意をひきだしていくだけの場になるのだろうか?
ファシリテーターはいるのだろうか?
裁判官がその役目をするというのだろうか?



外国の裁判員制度が成り立つのは、子供の頃からディベートを学んだり、慣れているという背景があるような気がする。
主張するのに慣れているのでは?



何でも欧米の真似をしている日本だけど、その文化的背景や資質が違うのに、同じことを取り入れても上手くいかないのではないだろうか?
日本人にあったアレンジをしていかないと。


裁判員制度の議論の場に、第三者の中立な立場のファシリテーターという存在が必要なのでは?と思ったのでした。   


Tグループにおけるグループの成長

2009年06月15日

数ヶ月前のTグループの5泊6日の記録写真を入手。
何人かで撮ったものをそのまま合体させただけのCDだったので、最初は気がつかなかったのだけど、撮影日順にソートして、もういちど見てみたら・・・
表情が変化していくのがとてもよくわかった。

初日。
最初の全体会の説明を受ける表情。
そこはかとなく漂う緊張感、不安感。一様にみんな無表情。
その後全体会がなんどかあるのだけど、後半になると似たように無表情に説明を聞いている風に見えるけど、そこに不安感はただよわない。
時に笑顔もあり。

初日、二日目の食事風景。
無表情で淡々と食べているように見えたり、話はしている様子だけど、なんとなくぎこちない。
笑顔が見えるのは、前から知っている人たちだけ?

ペアでのわかちあいに、微笑みはなく、まじめに語り合っているけど、そこにはぎこちなさや、遠慮が見える気がする。

3日目、個人で、野外に出てオブジェの材料を探す・・・
歩き方やたたずまいに個性あり。なにか、考え込んでいるような、味わっているような、静かな表情・・・
落ちているものや木の幹をたったまま、じーっと見つめる姿。

個人とグループの表現活動を経て・・・グループも一山越えて。

4日の朝の食事からは、表情に変化が。自然な笑顔が。
そのまんまのあなたが。私が・・写っている。

距離感にもなにか違うものが感じられるのはきのせい?
離れて写っているふたりだけど、その空間にはつながりがあるみたいな。
会話が見えるような。

午後、ペアでの野外活動。「無言の探検」
お互いをみつめるまなざしが優しく、あたたかい。
目隠しをされている人は、ペアを信頼し、この時間を楽しんでいるのがわかる。
リードしているほうも、前のようなぎこちなさや遠慮が少なくなっていたり、まったくないように見える人も。

5日目。
カメラを向けられると自然にカメラ目線になり笑顔を向ける参加者たち。
わざわざくっついてみたり、満面の笑顔。屈託がない。
会話中に気がつかないうちに撮られた写真の表情は、会話を楽しんでいる様子。
みんなの距離が近い。

6日目。
最後のわかちあい。
個人作業中のメンバー同士の距離感にも、不安オーラはなく、空気がやわらかい気がする。

ペアで、トリオで、お互いのむねのうちを語り合い、耳を傾けるひとたち。
おだやかに、やさしいまなざし、微笑み・・・・気持ちの動き・・・




いろんなことがあったなぁ。

データーでもグループが成長していくことが記録としてでていたけど、写真という記録でも、まさにそれが現れているなと感じた。

私は、どんな形式であれ、このような体験学習や人間関係トレーニング的な場や、実践には今後もつながっていくのだと思う。

すべてに感謝。  


みんなの関心が自分に向くのが嫌になるとき

2009年06月08日

ファシリテータートレーニング。

自分のことに関心を向けてもらうことが嫌だという人がいた。

だけど、なぜか、みんなの関心が向いてしまう。

なぜだろう・・・・・


人には関わるのに、自分のことを言わないから?


人には問いかけるのに、それを問うてみたくなった背景や、気持ちが、伝わってこないから、なんとなく周囲に違和感を感じさせ、その人に注目が集まる?


そんな気がした。



そういえば、私も、ときどき、自分にメンバーの関心が集まることが嫌になる。
上記のケースとはちょっと違う。


私の場合は、特定のケース。明確にある。

そういうのは、たいてい、自分の課題が自分の中でも明確にあり、自分なりにどうにかしようとして取り組んでいるのに、周囲の人たちがなんやかんや言ったり、質問したりすることで、私に代わって問題解決をしてあげようとしているニュアンスを感じるとき。


自分の課題に自分で気がついていないときは、嫌にはならない。
関わってもらえることがありがたいと思う。

気がついた瞬間に・・・・それ以上問われるのはつらいな・・と思ったとき、師匠は「本人が気がついたのなら、そこまで」といって、ほかの人のかかわりをストップさせたっけ。


その経験があるからなのか。
あるいは自分が、嫌だからなのか?


一人の人に質問が集中するとき・・・しかもそれが、相手の問題を解決してあげようというニュアンスにあふれているとき・・・
私は苦しくなってくる。
いやだ・・・やめて・・・・

質問を受けている相手が平気であったとしても、私は居心地が悪くなる。

ついつい私は、自分の気持ちを出すことで、それをストップさせようとしてしまうのだけど・・・


この次は、質問を受けている相手に、尋ねてみよう。

「あなたに質問が集中していますが大丈夫ですか?私はそれを見ていて少しつらく感じますが」  


待つこと、観ること、感じ取ること、そして瞬時に反応すること

2009年05月30日

某任意団体での定期総会のこと。
議事に沿って、しゃんしゃんと終わるのが、楽でいいけど、やっぱり会員としては、折角きているのだし、質問もしたいだろうし、参画したい気持ちがあるはず。

今回の総会の山場は、組織変更の提案。
運営委員会が、グループの意見を吸い上げ、検討したうえでの提案ではあったけれど、総会数日前に、一部ひっくりかえった部分もあったりして、この部分は、波乱含み。

いずれにしても、提案に固執するものではなかったので、会員の意見で、変更があることはやぶさかではなかったのだけど・・・

議長「質問、意見はないですか?」
「・・・・」(1、2、3秒)
議長「では、ないようなので採決に移ります」

えー!
早いよ。ちょっと待ってよ。まだみんな議事録から目があがらないし、隣と話始めた人もいる、ちょっとがやつきはじめたような・・・
あたふたしているうちに、挙手がはじまってしまった。

一応可決したのだけど、まだ、会員は、なんとなくがやついている。


私は三役で、脇の席にいて、このタイミングで発言するのはどうだったんだろうと思うけど、思わず口をついて出てしまった。
「あの!後ろのほうで、なにやら話したそうな雰囲気を感じていたんですけど、本当に質問も、ご意見もないのでしょうか?このまま次に進んでよいのでしょうか?」

案の定、次から次へ質問やら意見がでてきて、30分近く意見交換が行われた。

おかげで、終了時刻が遅れてしまったし、議長さんには間が悪くて申し訳なかったけど、結果的には良かったのではないかと思っている。
そうでなくても、各人がそれぞれ、いろんな思いをもって関わっている会で、それぞれが歯がゆい思いを抱えながらの組織。
発言の機会もなく進んでしまったら、不満につながったかもしれない。

それは、みんなが、より良い組織、活動にしたいと思っているからこそのこと。

個人的には、「あっ」と思ったときに、瞬時に反応できるようになりたいなぁ。「可決しました」の声が出る前に言えたらよかったなぁ。

精進します。  


ファシリテーションフォーラムに行こう

2009年05月21日

 kaneshige at 09:19  | Comments(0) | 思うこと
週末に東京で行われるファシリテーションフォーラムに24日のみですが、行ってこようと思います。

ワールドカフェオープンスペーステクノロジーを日本での第一人者のオーガナイズで体験してみたいということ、テーマが「教育を変える」ということであることも関心のひとつです。

そして、以前ここでもご紹介した「降りてゆく生き方」という映画に関連した分科会「映画「降りてゆく生き方」でのファシリテーションの実践について語り合おう」もあり、そちらにも参加したいと・・・よくばりな私なのです。(二つしか参加できないのに)

「降りてゆく生き方」は、劇場で一般公開はされず、自主上映という形をとります。

私は是非信濃町で上映したいなぁと思っているのですが、上映方法がわかりません。
思ってはいるけど、実は、内容も本当にはわかっていないのです(^^;

でも、映画をつかったまちづくりであったり、監督の森田さんは弁護士でありながら、まちづくりに関心があり、この映画を使ってまちづくりにつながることも期待されているようです。

また、この映画には私の知っているファシリテーターも何人か関わっており、興味のあるところです。

このあたりも、ファシリテーションフォーラムの分科会ではご紹介いただけるのではと期待しています。

誰か、一緒に自主上映しませんか?  


多くの人が求めている

2009年05月17日

 kaneshige at 14:17  | Comments(2) | 思うこと
しばしば耳にします。


「楽しいが表面的な会話」をするのが苦痛で、それがゆえにコミュニケーションがとれない。苦手だと思っている。
とか、
昔はもっとお互いの心のうちを話せたのに最近はそうではないのは、友達の質なのか、それとも・・・?とか。


それって、もっと、お互いの本当に考えていることや気持ちを伝え合えたり、聴きあえたりできることを望んでいるっていうことですよね。







しばしば目にします。

普段の会議の場では、なかなか意見がでないのに、ちょっと仕掛けをしただけで、ひとりひとりがちゃんと自分の意見を話している。
がやがやと、今までの静けさはなんだったのかというくらい。

ワークショップなんかすると、こんなに自分が話せることに驚いたり、目を輝かせて話していたり、この場の存在自体に感動していたり。

時間が終わっても、話し続ける。



わかちあいのときに、一人で多くの時間をとって話してしまうひとや、質問と称して、自分の話を延々とするひとも・・・・

本当は「話したい」人がたくさんいる。
「聴いてもらいたい」人がたくさんいる。






行政窓口やら何やら、関係ないところで身の上相談を延々とするひとがいる・・・






しばしば耳にします。

「認めてもらいたいんだ」って。



子どもだけじゃない、大人が、口々にそう言葉にする。

自分の存在確認をしたくて、人からほめてもらいたくて、動いている。




そういう時もあるでしょう、そういう場面もあるでしょう、認めて欲しい特別な人がいる場合もあるでしょう。


だけど、価値観よりもそこにスポットがあたっているケースを多々耳にするんです。






私の中ではこれらは全部つながっているような気がしています。

  


医療をとりまく諸問題をテーマに、自由な対話から学びあう対話会

2009年05月15日

同じ時期に同じチームの仲間として学びあった、友人のコーチ高木光恵さんからのお知らせがありました。
彼女は、ナースであり、コーチであり、そのほかにもいろんな面を持った心豊かな女性です。
このたび、彼女と思いを同じくするコーチがともにタッグを組んで、医療関係者と一般のかたが同じ場で対話する会を開催するとのことです。
記事の後方にご案内分を転記しましたので、ご覧ください。



ここからは、そのおしらせを受けて感じた私の感想です。
医療関係者と患者さんの間には、目には見えない関係や、壁があって、コミュニケーション不足による、さまざまな弊害がおこっているんじゃないかなと。仕組みに関しても同様です。

医療者のなかにも、そこをなんとかしたいと思っている方もたくさんいるでしょう。

妊婦たらいまわしなど、今日も医療に関係するニュースが流れています。
この対話の会がきっかけとなり、何が生まれてくるのか、わかりませんが、私は期待せずにはいられません。


ファシリテーターのお二人は、経験豊かで、細やかな感情を感じ取り、いろんな思いを受容してくれるひとたちです。

この案内を読んで、こころがゆれた人は是非、足を運んでみてください。



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オープン・ダイアログ≪対話の会≫


☆日 時 : 2009年5月17日(日)13:30~17:00(13:15受付開始)

☆場 所 : 東京都港区生涯学習センター(205号室)
      JR新橋駅 烏森口 徒歩3分
      http://www.kissport.or.jp/sisetu/syougai/index.html

☆参 加 費  : 3,000円

☆お申し込み : 下記アドレスに以下の項目を添えてご連絡ください。
E-mail : opened_dialogue@yahoo.co.jp
○ お名前  ○ メールアドレス  ○ その他ご自由に何でもどうぞ

問い合わせ先 :opened_dialogue@yahoo.co.jp


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≪オープン・ダイアログとは?≫

少人数のグループでファシリテーターの元、今起きている問題について様々な立場のあらゆる声を尊重しながら進められる対話手法の1つです。
安全な場で行われるこの対話は、意見交換や議論とは異なり、対立や葛藤を超え、問題の奥にある共通の想いや願いに気付き、違う立場の人を深いレベルで理解できるプロセスを提供します。そのプロセスによって参加者は、立場を超えた共感やつながりを体験し、新たな智慧や勇気を得ることができます。

≪なぜ医療について対話するの?≫

日本の医療は危機の時代を迎えています。地方/都市部に関係なく、医師・看護師不足によって経営が破綻する病院の数は、増加の一途をたどっています。 また医療事故を含め様々な情報が流れる中、社会全体が医療者へ疑問や不信を抱いたり、モンスターペイシェントと呼ばれる人が現れたり、様々なことが起きています。

近い将来、私たちや大切な人が病気になったとき、近くに診てもらう病院がない。という状況が来るかもしれません。これに対して、医療者や政府は懸命に策を講じていますが、それは医療の世界の内側で一部の専門家たちだけが話し合っているようで、当事者である医療の現場の人、そしてその医療の受け手の多くは、問題意識や不安があっても表現する機会は殆どないという環境にあります。

今回案内するオープン・ダイアログでは、どの人の人生にも必要不可欠な医療について、様々な立場の人が対話を深めることを通して、今までの不安感や不満感に気付いて癒されたり、立場を超えて分かり合ったりすることを望んでいます。またそこからどのような可能性が開かれるのかを、皆様と一緒に探求したいと願っています。

≪誰が参加すればいいの?≫

上のような医療を取り巻く状況に問題意識を持っていて、対話から新たな気づきや可能性を望んでいる全ての方(医療者・介護者・医療の受け手になる人やなったことのある人)


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☆日 時 : 2009年5月17日(日)13:30~17:00(13:15受付開始)

☆場 所 : 東京都港区生涯学習センター(205号室)※≪対話の会≫で予約
      JR新橋駅 烏森口 徒歩3分
      http://www.kissport.or.jp/sisetu/syougai/index.html

☆参加いただきたい方:医療に直接関わっているかどうかに関係なく、色々な立場や経験を持つ方に参加いただきたいと思っています。特に、医療に対する疑問や不信、不安や懸念も持ったことがあり、もっとよくなったらいいなぁ。と思っている方、大歓迎です。

☆参 加 費  : 3,000円

☆お申し込み : 下記アドレスに以下の項目を添えてご連絡ください。
E-mail : opened_dialogue@yahoo.co.jp
○ お名前  ○ メールアドレス  ○ その他ご自由に何でもどうぞ

問い合わせ先 :opened_dialogue@yahoo.co.jp

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<ファシリテーター プロフィール> 
○津村 英作  
組織心理学博士/グループ・ファシリテーター/国際コーチ連盟認定プロコーチ

個と組織の成長プロセスを促進するために「協働関係の構築」、「リーダーシップ発揮」、
「コーチング的コミュニケーション」を通して多数の個人と団体を支援。
温かい安心な対話の場を提供しつつ、新たな気づきを生みだす関わりに定評がある。
CTIジャパン(コーチ養成機関)、慶応大学(社会人教育)、明星大学などで講師。
また家族の絆を高めるためのNPO法人ファミリーツリーの理事としても活動中。

○高木 光恵
看護師/保健師/NLPトレーナーアソシエイト/米国CTI認定コーアクティブコーチ

ケアの場に起きる深い交流に魅かれ、患者様やご家族と関わり続けている現役ナース。
自身も胸椎の病変や、介護を要する家族を持つ。 
微細なセンスで事象を捉える深い洞察力と、豊かな表現力が持ち味。
医療法人医仁会武田総合病院副師長。院内カウンセラー・コーチ兼任。
プロコーチ、研修講師として院外でも活動を展開している。

  
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ファシリテーショングラフィック・記録のとり方

2009年05月11日



効果的な板書の仕方。
ここでは模造紙を使った記録のとり方のご紹介です。
とってもアナログではありますが、これが優れもの!

結構マニアックな世界かもしれません。

この本で紹介しているほど、凝らなくても、基本を抑えておくだけで、
発言がぶれない!
誰かが前に言ったことが思い出せる!

次回の会議に「どこまで話したんだっけ?」「何がきまったんだっけ?」にならず、経過も含めて思い出せます。

一度手にとって見てください。  


ファシリテーションフォーラム

2009年05月09日

日本ファシリテーション協会によるファシリテーションフォーラムが5月23日、24日に行われます。

多様なテーマでファシリテーションについて、ファシリテーションの使い方について、ファシリテーションのさまざまな手法について、体験できます。

先日投稿した、ワールドカフェやOSTも体験できます。(24日)

各日の予定はこちら

  


ブランド事業とワールドカフェ2

2009年05月06日

前の記事でワールドカフェに触れたけど、ヨコハマ経済新聞4月25日によると

ここから引用・・

「知識や知恵は、管理されがちな会議室で生まれるのではなく、人々がオープンに会話を行い、自由にネットワークを築くことのできる"カフェのような空間"でこそ創発される」という基本的な考え方に基づいている。

 この手法は、リラックスした雰囲気のなかで、一人ひとりの力を最大限に引き出し、そこからグループ全体の意見へとつなげていく点に特徴がある。結論を出すことでなく、あくまでもアイデアを出すことが目的。そのために話し合い、話し合いを記録することに集中する。そして、そこから新たな方向性が自然に生まれるのを待つ、というプロセスを重視する。

引用ここまで。

長野でも、ワールドカフェやりませんか?
長野市でも、長野県でも。
私は信濃町在住なので、信濃町ブランドのためにワールドカフェもいいと思うなぁ。

ほかに、OSTっていう手法も有ります。オープンスペーステクノロジー。


今回の記事詳細はこちらをどうぞ。

  


ブランド事業にワールドカフェ1

2009年05月05日

まちづくりに関心のある方へ
ヨコハマ経済新聞(2008年12月10日)より



横浜市は12月10日の市長定例記者会見で、都市ブランド共創プロジェクト「イマジン・ヨコハマ」の実施を発表。同日、横浜メディア・ビジネスセンター1階「ヨコハマNEWSハーバー」(横浜市中区太田町2)内に事務局を設置し、市民ボランティア1,000人の募集を開始した。

 同プロジェクトは、2009年の開港150周年の機会に「都市ブランド」の構築に取り組むもの。市民の横浜への誇りや愛着心を高めることで、地域活動への参加促進やコミュニティ形成を図り、都市の魅力や独自性の発信により、地域を活性化することが狙い。

 市民参加を重視し、「開国博Y150」会場などで市民の意見を集めるほか、インタビューを人から人へ連鎖的に広げて数万人の意見を集める「市民つながりインタビュー」などの新しい手法を実践。5月9日には、参加者全員がお互いの意見を共有しながら議論を発展させていく手法「ワールドカフェ」を日本最大規模の1,000人の参加者を集め実施する。

 有識者による公開型の「都市ブランド研究会」や、意見を集約するワークショップなどによりブランドを特定。キャッチコピーやシンボルマークなどに表現し、2010年2月に発表する予定。その後、都市ブランドを観光誘客や企業誘致などのシティセールス、都市デザイン、まちづくりなどの活動に生かしていく。

 横浜市は今年度、「都市ブランド戦略構築事業」として1,000万円の予算を計上。8月から9月にかけて事業者を公募し、応募があった8社に対し書類選考とヒヤリングを行い、事業者を広告代理店の「博報堂」(東京都港区)に決定している。

 募集するボランティアは、活動全体の中心となるコアメンバー200人と、主に「ワールドカフェ」と「つながりインタビュー」に参加するレギュラーメンバー800人。対象は2009年4月時点で15歳以上の方。締切はコアメンバーが2009年1月31日、レギュラーメンバーが3月31日。

 同プロジェクトの事務局担当者は「都市ブランドとは、都市名そのものをブランド化するもの。地名と商品を結びつけた地域ブランドとは違い、住民や企業からも支持される総合的な都市の評価を意味する。ゼロからスタートするこの新しい試みにぜひ参加して欲しい」と話している。